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新型コロナウイルス感染者遺族の証言・ダイアモンドクルーズ

ダイアモンドクルーズ乗客・ご遺族の証言が発表されました

2020年4月14日、NHK特設サイトにおいて、

ダイアモンドクルーズに乗船中コロナウイルスに感染し、命を落とされた男性の遺族・奥様の証言が掲載されました。

2020年1月20日にクルーズを開始されてから、3月22日に亡くなるまでの間、ご夫婦がどのように過ごし、何を感じておられたのか、取材に応じられた奥様の体験をもとに、記されています。

元気にクルーズを楽しんでいた夫が、2月10日に救急搬送・ICU隔離治療、その後一度も顏を見合わせることもできずに他界。

まずか、1か月半足らずの間の出来事でした。

最愛の人を失くすということ

自分の身に起こっていることでないと、それはいくら頑張っても他人事。

理解しようと思い、涙を流しても、その痛みの深さは、当事者と比べようもない。

 

世に知れ渡る事件や災害で命をなくされた人のことは、

ニュースに流れ、人々の目に触れ、耳に届くこともある。

けれども、人の命は、毎日、毎時間、毎分、失われている。

 

誰の目にも留まらず、知られることもなく、この世を去る人は毎日後を絶たない。

それは今に始まったことではなく、

生を受けた人間すべてに課された宿命でもある。

 

誰一人、免除されることなく、必ず迎える死という出来事は、

それが悲しくて、残酷で、無情で、耐えられないことだから、

人は、無い事にして日々を暮らしている。

 

考えてもどうにもならないことだから、

今は、まだ遠い先のことだから、

無い事にして暮らしている。

 

そして、今起こっているようなウイルス感染によって、

まだまだこの先、何十年も生きていくつもりの人が、

あっという間に命を失くす、その様を見聞きして、

ある人は初めて、恐怖心を抱く。

そしてある人は、それでも、それを他人事だと思う。

 

いつかは、訪れる出来事なのだから、

それを心配して、恐怖に震えながら生活する必要はない。

泣いても笑っても、いつかその時が来るのだから。

 

愛するものを失ったときに、残された人にのしかかる荷は重い。

その人にしかわからず、その人にしか乗り越えられない。

 

人は誰であっても、いつ何が起こり、何に巻き込まれ、命を失くすことになるかわからない。

 

ただ時折、

死を考える必要があるのかもしれない。

このような証言を見聞きし、見ず知らずの人の痛みを感じる必要があるのかもしれない。

 

それによって、今生きている間に、何かを変えることができるのなら、

それは必要なのかもしれない。

 

今回のコロナウイルス感染によって亡くなられた方々、そして、毎日、人生を終え、この世を去っていかれる方々すべての、ご冥福をお祈りいたします。

新型コロナウイルス感染者遺族の証言・NHK

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