本文中の挿絵は、子供たちからの応募作品の中から掲載させて頂きました。内容は抜かしているところもたくさんあり、荒っぽい訳なので、本が出版されたら、みなさん、ぜひ本物を楽しんでくださいね。
本の目次と登場人物の紹介は、「JKローリング新作「イッカボッグ」を訳してみた by どら雲」をご覧ください。
(注)この記事内のカタカナ表記を含む表現文字は「どら雲」独自のもので、正式表記とは異なりますのでご了承ください。
「イッカボッグ」第四十四章:ビーミッシュ夫人の反撃
バートが街の門をすり抜けた頃、ビーミッシュ夫人は、スピトルワースの手によって、牢獄の一室に押し込められていました。かすれた弱々しい声が、金づちを打つ音に合わせて国家を口ずさんでいるのが、すぐそばから聞こえてきました。
「静まれ!」スピトルワースが、壁に向かって怒鳴りました。
「ご主人様、この足を作り終えたら、」かすれた声が言いました、「娘に会わせてくださいますか?」
「ああ、会わせてやるよ、」スピトルワースは、あきれ顔で答えました、「ちょっと静かにしていろ、新入りと話しがあるのだ。」
「お話になる前に、公爵、」ビーミッシュ夫人が言いました、「私もあなたに、いくつか言っておきたいことがあります。」
スピトルワースとフラプーンは、その小太りの夫人をまじまじと見つめました。この暗くて寒い牢獄に放り込まれても全く気にせず、余裕たっぷりだった人を、今までに見たことがありません。
スピトルワースは、今も屋敷の書斎に閉じ込められて、結婚を拒み続けているエスランダ令嬢のことを思い出していました。けれどまさか料理人が令嬢のように偉そうにふるまうとは思ってもいませんでした。
「まず第一に、」ビーミッシュ夫人は始めました、「もし私を殺したら、王様にばれます。お菓子を焼いているのが私でないと、お気づきになるでしょう。王様は味の違いがおわかりですから。」
「確かにそうだ、」スピトルワースは冷たい笑みを浮かべて言いました、「だが、あなたがイッカボッグに殺されたとすれば、王は納得する、味が変わってもしかたがないとあきらめるしかない。」
「私の家は、宮殿の外壁のすぐそばです、」ビーミッシュ夫人が言い返しました、「大勢の人に気づかれずにイッカボッグの襲撃を演じるのは不可能でしょう。」
「その心配はない、」スピトルワースが言いました。「愚かにもあなたは陽が暮れてからフルーマ川のほとりを散歩していたということにすればよい、そこで水を飲みにきたイッカボッグに出会ってしまったとな。」
「そういうこともできたかもしれませんね、」ビーミッシュ夫人は、思いつくまま話を作りながら言いました、「とはいっても、私がイッカボッグに殺されたとなった場合は、あることが実行されるようにと手を打ってありますが。」
「あることとは何だ、誰に何を頼んだのだ?」フラプーンが言いました。
「息子だろうよ、」スピトルワースが言いました、「だがそれも時間の問題だ、覚えておけよ、フラプーン、料理人を殺すのは、息子を殺してからだ。」
バートがスピトルワースに捕まってしまったらと思うと、凍り付くような恐怖を覚えましたが、そんな素振りは見せずに、ビーミッシュ夫人は続けました、
「この牢屋に、オーブンと、道具を一式、ちゃんと揃えてくださいな、王様のお菓子を焼かなくてはなりませんから。」
「よかろう、」スピトルワースがゆっくりと答えました、「我々も、あなたの焼くお菓子を楽しみにしているからな。息子が捕まるまで、王のために働くがいい。」
「ではそういうことで。」ビーミッシュ夫人が言いました、「でも助手が必要ですわ。ここにいる囚人の中からお願いしましょう。卵白を泡立てて、トレイを並べるくらいのことができれば、あとはちゃんと教えますから。でもその前に、もうちょっとみんなに食べさせてあげてください、ここに連れてこられる途中に見ましたが、骸骨みたいな人がいましたわ。おなかがすいているからって、食材をつまみ食いされては困りますからね。」
「そして最後に、」牢屋を見回して夫人が言いました、「寝心地のいいベッドと清潔な毛布をそろえてください、睡眠不足では、王様にお出しできるようなおいしいお菓子は焼けませんから。もうすぐ陛下のお誕生日です、きっと何か特別なものを楽しみにされていることでしょう。」
スピトルワースは、この囚人の態度に驚きを隠せませんでした、「あなたとあなたの子供がもうじき殺されるというのに、怖くはないのか?」
「料理学校で習いますのよ、」肩をすくめて夫人は言いました、「どんなに腕のいい職人でも、パイ皮が焦げたりスポンジが生焼けだったりすることはあります。気を取り直して違うことを始めましょうということですわ。どうにもならないことを嘆いてもしかたありませんものね!」
スピトルワースも、これには反論することもできず、フラプーンをうながすと、扉をガチャンと閉めて、牢獄を出て行ってしまいました。
ふたりが出て行くと、ビーミッシュ夫人は、強がりをやめて、固いベッドに座り込みました。牢屋にあったのはそのベッドだけでした。全身が震えて、気が狂ってしまうかと思いました。
けれども、夫人は、世界一の菓子職人がいる街で、王様の台所の責任者にまでなったのです。こんなことでまいってしまうわけがありません。夫人は、深呼吸をしました。
さっきの、かすれた弱々しい声が、また国家を歌いだしました。夫人は壁に耳をあてて、どこから音が聞こえてくるのか確かめました。そして、天井の近くにすき間をみつけると、ベッドの上に立って、そっと呼びかけました、
「ダンでしょ?ダニエル・ダブテイルでしょ?バーサよ、バーサ・ビーミッシュ!」
それでも、かすれた声は、歌い続けました。
ビーミッシュ夫人は、またベッドに座り込み、腕をまわして自分の体を包み込むと、目を閉じて、痛む心の限り祈りました、どこにいようと、バートが無事でありますようにと。