本文中の挿絵は、子供たちからの応募作品の中から掲載させて頂きました。内容は抜かしているところもたくさんあり、荒っぽい訳なので、本が出版されたら、みなさん、ぜひ本物を楽しんでくださいね。
本の目次と登場人物の紹介は、「JKローリング新作「イッカボッグ」を訳してみた by どら雲」をご覧ください。
(注)この記事内のカタカナ表記を含む表現文字は「どら雲」独自のもので、正式表記とは異なりますのでご了承ください。
「イッカボッグ」第四十七章:牢獄のその後
宮殿の台所では大騒ぎになっていました。ビーミッシュ夫人が、特別待遇として、専用の台所がほしいとスピトルワースに要求したというのです。ビーミッシュ夫人は今までに、そんな高慢な態度を取ったことがなかったので、使用人たちは怪しみました。けれども毎日、王様の食卓にはきちんとお菓子やパンが運ばれてくるので、どこであろうと、夫人がまだ生きていることは確かでした。みんなと同じく、使用人たちは、何も聞かないのが無難だと考えたのでした。
一方、宮殿の牢獄では、囚人たちの生活が一変していました。
ビーミッシュ夫人の牢屋にはオーブンが置かれ、鍋やフライパンは台所から運び込まれました。回りの囚人たちは、王国一の腕を誇る夫人が、自慢のお菓子を焼くのを手伝うために、色々と訓練を受けていました。
夫人は、囚人たちの食事の量を二倍に増やすように要求しました。泡立てたり、こねたり、計ったり、ふるいにかけたり、流し込んだり、作業するには体力が必要だったからです。
清潔にするために、ネズミ退治のための罠もしかけてもらいました。そして、牢屋から牢屋へ道具や材料を運ぶための召使も置いてもらいました。
オーブンの熱のおかげで、湿った壁はすっかり乾きました。カビと下水の匂いは、焼き立ての美味しそうな香りに代わりました。ビーミッシュ夫人は、囚人たちが、出来上がったお菓子を必ず試食するようにしていました。自分たちが頑張った成果を味わってもらうためです。
少しずつ、牢獄は活気づき、陽気な雰囲気まで感じられるようになりました。ビーミッシュ夫人が来るまでは、痩せて弱っていた囚人たちも、だんだんと元気になっていったのです。夫人は、そうやって忙しくすることで、バートのことを心配する気持ちを紛らわせていました。
囚人たちが夫人を手伝っている間、ダブテイルさんは、隣の牢屋で、ずっと国家を歌い、巨大なイッカボッグの足を彫っていました。それまで囚人たちは、その歌声と金づちの音に腹を立てていたのですが、ビーミッシュ夫人は、みんなでいっしょに歌いましょうと誘ったのです。大勢で歌う国家の音に埋もれて、金づちとノミを打ち続ける音は、聞こえなくなりました。
何より面白かったのは、スピトルワースが、牢獄に降りてきて、どんちゃん騒ぎをやめろと命じたときでした。夫人は何食わぬ顔で、「国家を歌うことを禁じるなんて、裏切り行為ではありませんか?」と言ったのです。これにはスピトルワースも答えようがありません。その間抜けな様子に、囚人たちは大笑いしました。ビーミッシュ夫人はその時、隣の牢屋からも、かすかな笑い声が聞こえた気がして、胸を躍らせたのでした。
ビーミッシュ夫人は、精神異常については多くを知りませんでした。でも、腐りかけのソースやしぼんだスフレのように、ダメになりそうなものを救う手立ては知っていました。そしてダブテイルさんの壊れた心も、救うことができると信じていました、ひとりぼっちじゃないことがわかって、自分が誰なのかをちゃんと思い出しさえすれば。
夫人は、ダブテイルさんの弱った心を元気づけて、昔の自分を思い出すようにと、時々、国家以外の歌を歌いましょうと誘いました。そしてある時ついに、怪物騒動が起こるずっと前から人気のあったイッカボッグの飲み歌を、ダブテイルさんがいっしょに歌ったのです。夫人は驚きと喜びでいっぱいでした。
”一本だけじゃ、イッカボッグは嘘だ”
”二本飲んだら、吐息が聞こえる”
”もう一本飲めば、やってくるぞ”
”イッカボッグが来たぞ、やられる前にもう一本!”
オーブンから取り出したばかりのトレイを置くと、ビーミッシュ夫人はベッドに飛び乗り、壁の上のほうにあるすき間から、そっと話しかけました、
「ダニエル・ダブテイル、今そのおかしな歌、歌っていたでしょう。私、バーサ・ビーミッシュよ。古くからの友達よ、覚えてる? この歌、ずいぶん前、まだ子供達が小さかったころ、よく歌ったわね。うちのバートとお宅のデイジー、覚えてる、ダン?」
夫人はしばらく答えを待ちました、そしてすすり泣く声を聞いた気がしました。
おかしいと思うかもしれませんが、ビーミッシュ夫人は、ダブテイルさんが泣いているのを聞いて、嬉しかったのです。涙は心を癒すからです、笑いと同じくらいに。
その夜、そしてそれからも毎晩、ビーミッシュ夫人は壁のすき間からダブテイルさんに優しく話しかけました。そしてしばらくすると、ダブテイルさんは返事をするようになったのです。
ビーミッシュ夫人は、ダブテイルさんがイッカボッグについて言ったことを、台所の召使に話してしまって、とっても後悔していると伝えました。ダブテイルさんは、ビーミッシュ少佐が馬から落ちたのではないかと言ってしまったことをどれほど情けなく感じていたかを伝えました。そしてふたりはお互いに、子供達が無事でいることを死ぬまで信じると約束したのです。
牢獄の高い壁にある鉄格子の小窓から、凍り付く寒さが流れ込んできました。囚人たちは、厳しい冬がやってくるのを感じました、けれども、牢獄は、いつしか希望と癒しの場所になっていたのです。ビーミッシュ夫人は、みんなにもっと毛布を用意するようにと、そしてオーブンを夜通し燃やし続けておくようにと要求しました。みんなが必ずこの冬を乗り切れるようにと願って。