ラテン系アメリカン女性とオフィスシェアしていた時です。
皆が皆とは言いませんが、今まで知り合ったラテン系の女性は、とにかく明るい!そして喜怒哀楽が激しい!そして世話好き、な人たちでした。
南カリフォルニア州、ロサンジェルス・LAから車で2時間ほど南に下りると州の最南端、サンディエゴの街。その先にある、高速道路の料金所のようなブースが並ぶ国境を超えると、そこはメキシコ、雰囲気はがらりと変わります。
LA生活の中で、メキシコ人・ヒスパニックの存在は大きかった
西は太平洋から東はメキシコ湾まで、北アメリカ大陸を横切る国境を挟んで、USAとラテンアメリカとの間では今なお、波乱万丈の歴史が刻まれ続けていますが、政治経済に関しては専門家にお任せして、ここでは言及いたしません。
カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、そしてテキサスという、メキシコとの国境を有する州に暮らす一般庶民にとって、ヒスパニックの存在は大きく、身近に感じます。
ヒスパニック・Hispanicと呼ばれるのは、主にラテン・アメリカ系でスペイン語を話す人たちのことで、LAに暮らしていると、ほぼ、Hispanic=Mexicanでした。
メキシコからアメリカへ移民として渡った人数は一千万人近くに上ると言われていますし、いわゆる違法滞在とされる人数を加えると総人数はそれをはるかに上回ります。
City・市単位でみると、ヒスパニックの人口は、ロサンジェルス市・LAがダントツに多くて、2020年には190万人を超えたそうです。LAの総人口が約400万人なので、半分近くがヒスパニック系の人ということになります。
[st-kaiwa-1933]メキシコの象徴・ソンブレロ、サボテン、マラカスとタコス。でもLAのメキシカンはソンブレロかぶりません。お洒落なメキシカンレストランでマリアッチと呼ばれるライブ演奏をする人たちは、衣装としてけっこうかぶっていました。タコスはめっちゃ美味い![/st-kaiwa-1933]
ヒスパニックの人々にとって英語は第二外国語
移民一世の場合は英語をあまり必要としない職種につくことが多く、清掃(cleaning)や食器洗い(dish wash)、洗車屋さん(car wash)、家事手伝い・乳母(Maid・Nanny)・・。LAでは特にレストランで働いている姿を多く見かけました。
アメリカ生まれの移民二世以降は、ヒスパニック系アメリカ人としてあらゆる階層や職種で活躍されています。
二世以降は当然、英語が流暢なのですが、ほぼ全員が、母国語・最初に習得する言語はスペイン語なんだそうです。私が聞いたところでは、3世でも4世でも、最初に子供に教えるのはスペイン語というのが彼らの流儀でした。
日本から移住された方々の場合、子供たちに早く英語を学んでもらおうと、色々と手を尽くすことが多いのですが、ヒスパニックの方々は、まず完璧にスペイン語を覚えます。3代4代という家系が同じ地域に暮らしていることも多く、集まって話すときはみんなスペイン語です。
[st-kaiwa-1933]私が出会ったヒスパニック3世4世の若者たちも、全員がスペイン語ぺらぺらでした。更に言うと、子供にスペイン語を教えない親はどうなの?という目で見られることもあるとか。それほどに彼らはスペイン語という言語に誇りと責任を持ち続けているんですね。[/st-kaiwa-1933]
同僚:マリア・エルバの場合
ファーストネームはマリアなのですが、マリアの人数が多すぎて混乱するため、ミドルネームのエルバを名乗っていたメキシコ移民一世の同僚。
エルバとオフィスシェアをしていた数年間は、毎日がハプニングの連続でした。十代後半でアメリカに移民として渡ってきたエルバ。ラテン系のアクセントが抜けない陽気な英語を話すエルバ。十代で女の子を出産してシングルマザーとなり、色々と苦労もあったであろうにそんなことを笑顔で語る根っからのラテン女子、エルバ。
幸運にも私はLAで勤めていた会社で、数年間、彼女とオフィスをシェアすることになったのでした。
私は経理担当で、エルバはHR(人事)とPayroll(給与)担当だったので、仕事で交わることはそれほどなかったのですが、出身も育った環境も文化も全く違う人と相当近い距離感で毎日10時間近く過ごすというのは、家族と過ごす時間よりも長くて密接です。
私達はあっという間に意気投合し、仕事そっちのけ(?)でおしゃべりしたり相談事をしたり、おいしいメキシカンのローチコーチ(日本でいうキッチンカー)が近くに来ると言っては走って買いに行ったり。
親戚が大勢回りに住んでいたエルバは、甥っ子の誕生日パーティーだ、妹のBBQパーティーだ、自分の結婚式だと、色んなイベントに誘ってくれました。そう、エルバは娘さんが成人したあと、長距離恋愛の果てにアルゼンチン男性と結婚したのです。
世話好きで情緒豊かなメキシコ人女性・エルバ
LAに暮らし始めて気づいたのですが、アメリカには、「おみやげ文化」がそれほどありません。
誕生日やクリスマス、結婚といったイベントや、パーティーに呼ばれた時などはギフトを用意しますが、休暇で旅行に行ってきたという時など、帰ってきて写真を見せながらみやげ話を山ほどしてくれますが、部署に温泉饅頭ひと箱・・といったものがない、ということです。
けれどエルバは、どこかに行くと、必ずお土産を買ってきてくれました。国境を越えてすぐの観光地、Tijuana/ティワナからのお土産とか、婚約者に会いに行ったアルゼンチンからの珍しいお菓子とか。
旅行でなくても、気が向くと、オフィスのみんなに差し入れをしてくれました。
エルバが住んでいたのはLAダウンタウンから少し北に上がったGlendale/グレンデールという街でしたが、そこにある人気ベーカリー「Porto」の焼き立てペイストリーをよく買ってきてくれました。
美味しかったなあ~~Porto・ポルトーのパン。https://www.portosbakery.com/
お土産文化がメキシコの人たちにあるのかどうかは、定かではありませんが、エルバは、お土産文化そのもののような人でした。
[st-kaiwa-1933]お土産文化といえば、日本を上回るほどお土産文化を受け継いでいるのはハワイに暮らす日系人の方々です。これには何度もびっくりさせられました。[/st-kaiwa-1933]
エルバ、元気でやってるかな~
そんなエルバとも、今は連絡が途絶えています。
勤めていた会社がLAからネバダに移転することになり、私は同時にハワイへ移ることを計画していたので、その時に当時の同僚とはほとんどばらばら、音沙汰なくなってしまいました。
エルバのご主人は、アルゼンチン出身のパイロットなのですが、英語はほとんど知らなくて、LAでは辛い思いをしていたようです。母国ではプライベートジェットを飛ばすパイロットとして活躍していたのに、英語圏に来たらほとんど通用しないのですから、そりゃあ辛かったと思います。その後、アルゼンチンに戻って仕事をするようになって、夫婦はまた長距離恋愛に戻ったようです。
エルバの一人娘は結婚して娘を出産、エルバはヤングハッピーグランマになりました。私がハワイに移ってから何度か電話やメールをしましたが、その後、音沙汰がなくなっています。
でも、連絡が取れればまたすぐにあの頃のように延々とおしゃべりができるだろうと思います。ハワイに遊びに来るって言ってたので、それが叶えばいいのになぁ。そうなれば、またエルバの近況を交えて思い出話をアップデートしようと思います。